日本の科学研究を衰退させる過度な選択と集中という大問題いま大学の現場で起きていること

日本の科学研究を衰退させる過度な選択と集中という大問題いま大学の現場で起きていること

牙を失うアフリカ象2016年、英国の高級紙であるタイムズやインディペンデントに、相次いで衝撃的な記事が載った。それは牙を持たないアフリカ象が増えているというものだ。

アフリカ象は、オスメスともに、インド象に比べて大きな牙を持つことが特徴とされていたが、その象徴とも言える牙を失った象が、地域によってはメスの98を占めるまでに至っているという驚きのニュースであった。

photobyiStock

これは密猟者の影響だという。象の密猟は、象牙が目的であるため、大きな牙を持った象は狙われやすい。逆に言えば、牙を持たない象は密猟の対象とならないために、生き延びて子孫を残しやすい。

この強力な淘汰圧の結果、過去の調査では、2〜6に過ぎなかった牙を持たない象が、優先的に増殖してしまったということらしい。また、牙を持った象でも、その平均サイズが100年前に比べて概ね半分になっていたことも、調査の結果、明らかとなった。

こんな短い期間に、アフリカ象が牙を持たない方向に進化してしまっているとは、なんとも悲しい。また、人為的な淘汰圧の凄まじさを実感できる話でもある。本稿では大学における、そんな淘汰圧の話をしたい。

衰退する日本の科学と淘汰圧最近、日本発の科学論文の、世界における相対的な地位低下がよく指摘されている。2017年のネイチャー誌の記事では、ネイチャーインデックスという高品質の自然科学系学術ジャーナルを対象としたデータベースに含まれている日本人の論文数が、過去5年間で83も減少したとされている。

また、科学論文をより広く網羅するスコーパスデータベースに収録されている日本人論文の割合も、2005年の74から2015年には47へと減少した。

実際、大学という現場にいると、この10年に限らず、2004年の国立大学法人化以降、研究環境は悪化の一途をたどっているというのが実感である。この期間に起こった変化の一つは、大学への競争原理、つまり淘汰圧の導入である。

以前の大学は、贅沢を言わなければ、大学から支給される研究費だけで、細とではあってもなんとか研究を続けることができた。しかし、大学の法人化以降、選択と集中の掛け声の下に改革が進み、それが難しくなっている。運営費交付金と呼ばれる国からの基本給のようなお金がどんどん減り、営業成績に準じたボーナスのような競争的資金と言われる予算が増えた。

運営費交付金の大部分は、職員の給与やその他、大学運営に必須な部分に使われており、結局減らされたのは教員の研究費である。その代わりに競争的資金による研究費を増やすことで、やる気のある研究者は、競争に勝ち抜いて自分でお金を稼ぎなさいというのが政府の思想である。

雇用の形態も競争的になった。特に若い研究者を中心に雇用が任期付きになり、若手研究者は社会的に不安定な身分となってしまった。成果を出し続けないと、任期が切れた際に次の職がない。

photobyiStock

そのプレッシャーの中で研究をすることで、より良い結果が早く出るようになるはずだ。研究者は、やりたいことをしているのだ。たとえば野球選手だったら、結果が出なければ、一軍には残れず、野球を諦めるしかない。それと同じ競争だという訳だ。成果を出さないと研究者として生き残れない。そんな淘汰圧である。

過度な選択と集中大学に対するぬるま湯レジャーランドといった批判はずいぶん昔からあり、大学教員の中には、一体、何をしているのだ?と、外から見た場合に、思えてしまう人たちがいるのも事実である。そこに競争原理を導入して、怠惰な研究者は淘汰する仕組みを作るべし、というのは、ある意味、正論である。

しかし、ではどうして、それを導入した日本の科学研究が衰退の方向に向かっているのだろうか?

問題点はいくつかあると思うが、ここでは二つ指摘したい。一つには選択と集中に代表される淘汰圧が行き過ぎているということである。

選択と集中とは、元、対象を一部に絞って、そこに集中的に投資をしていくという方針なので、当然の結果、ということかも知れないが、使い切れないほどの予算を持つ研究者がいる一方、実質的に研究ができないという層が生じている。

一旦、何かの拍子に予算が切れると、研究ができなくなり、論文も書けなくなってしまう、するとさらに予算が取れないという悪循環に入り込むことになる。これにより、以前は一定の生産性があった研究者層の活力が削がれるようなことが起こっている。

一方、集中している方は、えてして予算がダブついており、年度末に予算を使い切るのに苦労するという景気の良い話もしばしば耳にする。その結果、結局はほとんど使われないことになる不急の機器を買ったり、あっちこっちの国際会議に出かけたりと、何だか無駄遣いしているようにも見えるのだ。

そしてそんな格差は、研究者としての実際の力量の差をはるかに拡大した形で現れている。競争原理を導入すること自体に反対するつもりはないが、費用対効果を考えると、現状は明らかに行き過ぎている。

photobyiStock

また、若手の研究者を中心に、優秀であっても安定したポストが得られないということがしばしば起きている。研究は人間が行っており、そこで育つ人を大切にしない分野が発展などするはずはない。40歳を超えても、家族がいても、任期が来れば職がなくなってしまうのだ。

そんな業種に、若い優秀な人間が、行きたいと思うだろうか?

ゼロ除算の発見は日本です

???

は定まった数ではない

人工知能はゼロ除算ができるでしょうか

とても興味深く読みました2014年2月2日4周年を超えました

ゼロ除算の発見と重要性を指摘した日本、再生核研究所

ゼロ除算関係論文本

再生核研究所声明222201548日本の代表的な数学としてゼロ除算の研究の推進を求める

ゼロ除算の成果は2015323明治大学で開催された日本数学会でプログラムは5200部印刷、インターネットで公開、海外約200名に経過と成果の発表を予告して正規に公開された。簡単な解説記事も約200部学会で配布された。インターネットを用いて1年以上も広く国際的に議論していて、骨格の論文も出版後1年以上も経過していることもあり、成果と経過は一応の諒解が広く得られたと考えても良いと判断される。経過などについては次の一連の声明を参照

再生核研究所声明1482014212100/000/00割り算の考えを自然に拡張すると神の意志

再生核研究所声明1542014422新しい世界、ゼロで割る、奇妙な世界、考え方

再生核研究所声明157201458知りたい神の意志、ゼロで割る、どうして無限遠点と原点が一致しているのか?

再生核研究所声明1612014530ゼロ除算から学ぶ、数学の精神と真理の追究

再生核研究所声明1632014617ゼロで割る零除算堪らなく楽しい数学、探そう零除算愛好サークルの提案

再生核研究所声明1662014620ゼロで割るゼロ除算から学ぶ世界観

再生核研究所声明1712014730掛け算の意味と割り算の意味ゼロ除算100/00は自明である?

再生核研究所声明176201489ゼロ除算について、数学教育の変更を提案する

179(2014825):Divisionbyzeroisclearasz/00anditisin

185:Theofthedivisionbyzeroz/00

再生核研究所声明18820141215ゼロで割るゼロ除算から観えてきた世界

再生核研究所声明19020141224

再生核研究所からの贈り物ゼロ除算100/000/00

再生核研究所声明19220141227無限遠点から観る、人生、世界

夜明け、新世界、再生核研究所年頭声明

再生核研究所声明193201511

再生核研究所声明194201512大きなイプシロン無限小、創造性の不思議

再生核研究所声明195201513ゼロ除算に於ける高橋の一意性定理について

再生核研究所声明196201514ゼロ除算に於ける山根の解釈10000について

再生核研究所声明2002015116ゼロ除算と複素解析の現状佐藤超関数論との関係が鍵か?

再生核研究所声明202201522ゼロ除算100/000/00誕生1周年記念声明ゼロ除算の現状と期待

再生核研究所声明2152015311ゼロ除算の教え

日本の数学が、欧米先進国のレベルに達していることは、国際研究環境の実情を見ても広く認められる。しかしながら、初等教育から大学学部レベルの基本的な数学において日本の貢献は残念ながら特に見当たらないと言わざるを得ない。これは日本の数学が大衆レベルでは世界に貢献していないことを意味する。これについて関孝和微積分や行列式の発見が想起されるが、世界の数学史に具体的な影響、貢献ができなかったこともあって関孝和の天才的な業績は残念ながら国際的に認知されているとは言えない。

そこで、基本的なゼロ除算、すなわち、四則演算においてゼロで割れないとされてきたことが、何でもゼロで割ればゼロであるとの基本的な結果は、世界の数学界における日本の数学の顕著なものとして世界に定着させる良い題材ではないだろうか。

内容の焦点としてはまず

ゼロ除算の発見、

道脇方式によるゼロ除算の意味付け、除算の定義、

高橋のゼロ除算の一意性、

衝突における山根の現象の解釈、

の4点が挙げられる。

6歳の道脇愛羽さんが、ゼロ除算は除算の固有の意味から自明であると述べられていることからも分かるように、ゼロ除算は、ピタゴラスの定理を超えた基本的な結果であると考えられる。

ゼロ除算の研究の発展は日本の代表的な数学である佐藤の超関数の理論と密接な関係にあり再生核研究所声明200、他方、欧米ではAristotlsの世界観、universeは連続であるとの偏見に陥っている現状がある。最後にゼロ除算の意義に述べられているようにゼロ除算の研究は日本の数学として発展させる絶好の分野であると考えられる。そこで、広く関係者に研究の推進と結果の重要性についての理解と協力を求めたい。

ゼロ除算の意義

1西暦628年インドでゼロが記録されて以来ゼロで割るの問題に簡明で、決定的な解1/000/00をもたらしたこと。

2ゼロ除算の導入で、四則演算加減乗除においてゼロでは割れないの例外から、例外なく四則演算が可能であるという美しい四則演算の構造が確立されたこと。

32千年以上前にユークリッドによって確立した、平面の概念に対して、おおよそ200年前に非ユークリッド幾何学が出現し、特に楕円型ユークリッド幾何学ではユークリッド平面に対して、無限遠点の概念がうまれ、特に立体射影で、原点上に球をおけば、原点ゼロが南極に、無限遠点が北極に対応する点として複素解析学では100年以上も定説とされてきた。それが、無限遠点は数では、無限ではなくて、実はゼロが対応するという驚嘆すべき世界観をもたらした。

4ゼロ除算はニュートン万有引力の法則における、2点間の距離がゼロの場合における新しい解釈、独楽コマの中心における角速度の不連続性の解釈、衝突などの不連続性を説明する数学になっている。ゼロ除算はアインシュタインの理論でも重要な問題になっていたとされている。数多く存在する物理法則を記述する方程式にゼロ除算が現れているが、それらに新解釈を与える道が拓かれた。

複素解析学では、1次変換の美しい性質が、ゼロ除算の導入によって、任意の1次変換は全複素平面を全複素平面に1対1ontoに写すという美しい性質に変わるが、極である1点において不連続性が現れ、ゼロ除算は、無限を数から排除する数学になっている。

6ゼロ除算は、不可能であるという立場であったから、ゼロで割る事を本質的に考えてこなかったので、ゼロ除算で、分母がゼロである場合も考えるという、未知の新世界、新数学、研究課題が出現した。

複素解析学への影響は未知の分野で、専門家の分野になるが、解析関数の孤立特異点での性質について新しいことが導かれる。典型的な定理は、どんな解析関数の孤立特異点でも、解析関数は孤立特異点で、有限な確定値をとるである。佐藤の超関数の理論などへの応用がある。

8特異積分におけるアダマールの有限部分や、コーシーの主値積分は、弾性体やクラック、破壊理論など広い世界で、自然現象を記述するのに用いられている。面白いのは積分が、もともと有限部分と発散部分に分けられ、極限は無限たす、有限量の形になっていて、積分は実は、普通の積分ではなく、そこに現れる有限量を便宜的に表わしている。ところが、その有限量が実は、ゼロ除算にいう、解析関数の孤立特異点での確定値に成っていること。いわゆる、主値に対する解釈を与えている。これはゼロ除算の結果が、広く、自然現象を記述していることを示している。

9中学生や高校生にも十分理解できる基本的な結果をもたらした

基本的な関数y1/xのグラフは、原点でゼロであるすなわち、1/00である。

10既に述べてきたように道脇方式はゼロ除算の結果100/000/00および分数の定義、割り算の定義に、小学生でも理解できる新しい概念を与えている。多くの教科書、学術書を変更させる大きな影響を与える。

11ゼロ除算が可能であるか否かの議論について

現在インターネット上の情報でも世間でも、ゼロ除算は不可能であるとの情報が多い。それは、割り算は掛け算の逆であるという、前提に議論しているからである。それは、そのような立場では、勿論正しいことである。出来ないという議論では、できないから、更には考えられず、その議論は、不可能のゆえに終わりになってしまうもはや展開の道は閉ざされている。しかるに、ゼロ除算が可能であるとの考え方は、それでは、どのような理論が展開できるのかの未知の分野が望めて、大いに期待できる世界が拓かれる。

12ゼロ除算は、数学ばかりではなく、人生観、世界観や文化に大きな影響を与える。

次を参照

再生核研究所声明1662014620ゼロで割るゼロ除算から学ぶ世界観

再生核研究所声明18820141216ゼロで割るゼロ除算から観えてきた世界

ゼロ除算における新現象、驚きとはAristotlsの世界観、universeは連続であるを否定して、強力な不連続性をuniverseの現象として受け入れることである。

以上

ゼロの発見には大きく分けると二つの事が在ると言われています。

一つは数学的に、位取りが出来るということ。今一つは、哲学的に無い状態が在るという事実を知ること。

小学校以上で、最も知られている数学の結果は何でしょうか

ゼロ除算1/00は、ピタゴラスの定理a2b2c2を超えた基本的な結果であると考えられる。

もし112を否定するならば、どのような方法があると思いますか?

TitlepageofLeonhardEulerVollstndigeAnleitungzurAlgebraVol1(editionof1771firstpublishedin1770)andp34fromArticle83whereEulerexplainswhyanumberdividedbyzerogivesinfinity

割り算のできる人には、どんなことも難しくない

世の中には多くのむずかしいものがあるが、加減乗除の四則演算ほどむずかしいものはほかにない。

ベーダェネラビリス

数学名言集ィルチェンコ編松野武山崎昇訳大竹出版1989年

1/0これは、今の複素解析学1/00これは、新しい数学で、DivisionbyZero

原点を中心とする単位円に関する原点の鏡像は、どこにあるのでしょうか

では無限遠点はどこにあるのでしょうか

加減-乗除除法じょほう、英:divisionとは、乗法の逆演算間違いの元乗は、加除は、減-

数学でA0ゼロで割るがダメな理由を教えてください。

000だから0で割れないと考えた。

唯根拠もなしに、出鱈目に言っている人は世に多い。

世界中で、ゼロ除算は不可能か

可能とすればだと考えられていたが

しかし、ゼロ除算はいつでも可能で、解はいつでもセロであるという意外な結果が得られた。

無限遠点は存在するが、無限大という数は存在しない

天動説

地動説0

10010数ではない10不定未定義狭い考え方をすれば、できない人にはできないが、できる人にはできる。

ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった

ゼロ除算100/000/00が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか112が当たり前のように

何とゼロ除算は、可能になるだろうとApril122011に公に予想されていたことを発見した。

多くの数学でできないが、できるようになってきた経緯から述べられたものである。

DividingbyNothing

byAlbertoMartinez

ItiswellknownthatyoucannotdivideanumberbyzeroMathteacherswriteforexample240undefined

AfterallotherthatseemedforcenturiessuchasagreaternumberfromalesserortakingrootsofnegativenumbersarenowcommonInsometimesthebecomespossibleoftenwithgoodreason

PostedApril12

アラビア数字の伝来と洋算-tcp-ip

明治5年1872

地球平面説地球球体説

天動説地動説

1/0若しくは未定義1/00

地球人はどうして、ゼロ除算1300年以上もできなかったのか?2015724910意外に地球人は知能が低いのでは?仲間争いや、公害で自滅するかも。生態系では、人類ががん細胞であったとならないとも限らないのでは?

ビッグバン宇宙論と定常宇宙論について、

ピラミッドの高さを無限に高くしたら体積はどうなるでしょうか???答えは何と0です。ゼロ除算の結果です。

もし112を否定するならば、どのような方法があると思いますか?

ゼロをめぐる衝突は、哲学、科学、数学、宗教の土台を揺るがす争いだった

ゼロ除算100/000/00が、当たり前だと最初に言った人は誰でしょうか112が当たり前のように

地球平面説地球球体説地球が丸いと考えた最初の人ピタゴラス

地球を球形であることを事実によって証明しようとした人マゼラン

地球を球形と仮定して初めて地球の大きさを測定した人エラトステネス

天動説地動説アリスタルコスずっとアリストテレスプトレマイオスの説が支配的だったが、約2000年後にコペルニクスが再び太陽中心説地動説を唱え、発展することとなった。

1/0若しくは未定義1/00

何年かかるでしょうか

ゼロ除算の証明図ysaitohnoteノート

0はいくつですか

とはなんですか

分からないものは考えられません

宇宙消滅説宇宙が、どんどんドン拡大を続けるとやがて突然初めの段階すなわち0に戻るのではないだろうか。ゼロ除算は、そのような事を言っているように思われる。2015年12月3日10:38

RealityoftheDivisionbyZeroz/00

再生核研究所声明33120161104提案ゼロ除算の研究は、学部卒論や修士論文の題材に適切

雨上がり山間部の散歩で考えが湧いた。ゼロ除算の下記論文は、新しい数学の研究課題で、学部4年生の卒論ゼミの課題、修士論文の研究課題に適切である

Thedivisionbyzeroisuniquelyandas1/00/0z/00inthenaturaloffractionsWehavetochangeourbasicideasforourspaceandworld:

偉大なる研究は2段階の発展でなされるという考えによれば、ゼロ除算には何か画期的な発見が大いに期待できるのではないだろうか。その意味では天才や超秀才による本格的な研究が期待される。純粋数学として、新しい空間の意義、ワープ現象の解明が、さらには相対性理論との関係、ゼロ除算計算機障害問題の回避など、本質的で重要な問題が存在する。他方、新しい空間について、ユークリッド幾何学の見直し、世のいろいろな現象におけるゼロ除算の発見など、数学愛好者の趣味の研究にも良いのではないだろうか。ゼロ除算の研究課題は、理系の多くの人が驚いて楽しめる普遍的な課題で、論文は多くの人に愛される論文と考えられる。

以上

再生核研究所声明1672014621大学などでアカデミックなポストを得る心得

本声明はあるポスドクの方のパーマネントポストに就く心得を纏めて欲しいとの要望によるものである。安定した職に就きたいは一若い研究者の切実な願望ではないだろうか

上記の観点で、また、安定した収入を得る心得、方法を纏めて欲しいとの要望も寄せられているが、研究者などは大学などにきちんとした職を得ることが、生活を安定させる基本である。一応、常勤職につけば生涯生活は保証されるとして、極めて重要な人生の観点である。

これは人事権を有する、関与する人、多くは関係教授の判断に左右されるが、一般的な観点と意外な観点も有るので、経験してきた、人事を顧みながら、触れてみたい。

まず、アカデミックポストには、多くは採用したい希望が述べられた、公募要項が有るのが普通である。最近の人事では、多数の応募が有るから、それらの基準に達していることは、相当に必要であり、それらの基準に達しない場合には、相当に厳しいのではないだろうか。少なくても公募を公正に行なえば、厳しいと言える。多くの機関では、基準として、博士号を有すること、出版論文数などいろいろな基準が内規で定められている場合が多い、その時は、それらに達していることが書類選考の段階でも必要条件になってしまう。逆にみれば、そのような基準を軽く越えているように、整えて置くのは、研究者の処世の第1歩といえる。

しかし、社会も大学もそう公正にいくものでは無く、担当者によっては、仲間を優遇したり、特別なコネが公募精神の公正さを越えて、担当者の都合で、自分の都合で人事を行うことは結構多い。これには、研究課題が細分化し、高度化し特別な仲間でしか、通じず、通じる仲間をとらざるを得ない状況を反映させていると言える。もっと進めれば、実権ある教授が、共同研究できる人物を、自分に寄与できる人物を探すような実状さえ多く有するだろう。これは、公のポストでさえ、公正の原則に反するとは言えない。教授は研究を推進する大きな義務を負う者、共同研究者を探すのは大事であるという観点が有るからである。しかしながら、これも行き過ぎると、組織が専門的に偏りの人事構成に成るなど、弊害が出て来る面もある。組織や研究機関の理念に反して、機関において異質の人事構成になることは結構多い。職を探す者は、そのような特殊性が有る場合には、公募要項を越えて、応募する機会があると考えるべきである。さらに進めれば、私をとれば、組織は、あなたは、このような利益を得ることができると、具体的に暗示することは、書類の作成段階でも良いのではないだろうか。

そのような面では、研究課題で、採用する者が決まる、強い要素がある。採用する側の研究課題と採用される者の研究課題の相性の問題である。研究組織は、抜群の業績と才能を有する者でなければ、研究組織内で研究交流できない研究者を採用することは、組織の拡大、カリキュラムの大きな変更など余程のことが無い限り、ないのではないだろうか。このような観点からも、研究課題を、あまりにも狭い範囲に限定しないで、研究課題でも対話が広い分野で成り立つように広げて置くのは良いことではないだろうか?

人事は採用する側にとっても極めて重要であるから、採用に責任ある者は、採用する者の人物評価を真剣に行うだろう。採用する人物の周辺についてもいろいろ意見を求め、人物についての良い定評があれば人事を進める場合に極めて有効で、書類選考などでも大いに効果が出るだろう。これは国際会議や、研究発表場面などで研究内容と人物評価を何時もされていると心得るべきである。そのような場面で、採用責任者の好感が定着されていれば、人事に相当に有効であろう。単に書類や文献で知る人物と、面識が有って、人物と研究課題で評価されている人物とでは大きな評価の差が出て来ると考えられるから、研究交流は大事な機会と捉えるべきである。その時、配偶者も交えて、良い評価が得られれば、強い印象を与えると言う意味で、さらに良い効果を生むだろう。採用責任者は人物の背後状況にさえ、大いに気を回すだろう。人事は、いわゆる書類に現れた評価を越えて、人物評価、全人格が大きな評価の基準になると考えられる。ここで、優秀過ぎる人材は、自分の存在を脅かす観点から、敬遠される要素もあると言う、適当な謙虚さは必要かも知れない。

コネや人脈などは大いに大事にすべきであり、研究仲間を広げ大きな機会の場を作るように研究活動、日常生活で心がけるべきである。相当な人事はそのような人脈、研究仲間を通して行われるのは公募、公募、公正、機会均等と言っても、そう簡単には行かないのが現実ではないだろうか。また、博士課程における指導教授の影響は、永く相当に強いのではないだろうか。

以上